上宮天満宮について
ご祭神
武日照命 野身宿禰命 菅原道真命
由緒
 日の神、武日照命の天下って鎮座された此れの太古の杜、日神山一帯は弥生人の住居跡として銅鐘も出土し、南北に並ぶ四古墳のうち、中央の円墳上には式内古社の野見神社が在る。此地は「日本書記」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を記した野見宿禰を千数百年前も前から斎き祀ってきた島上群野身里である。彼の率いる祭祀者一族、土師氏は何百年か後に菅原道真、大江匡房始め平安時代に於ける史学、文芸学者たちを次々に生み出すが、殊に右大臣にまで昇った道真公は、然しその後天皇廃立に関わったとされ九州へ追放される。その後百年近い頃、正暦四年(九九四)に正一位左大臣の位を遺贈する勅使として菅原為理が太宰府へと赴いた。御霊代など奉じての帰途、芥川を遡り当地の上田部(市役所西)に上陸し、領主近藤氏の城館に宿った。ところがいざ出立となると輿が動かず、これを先祖と共に留まりたい霊意と拝察して、里人が日神山に天満宮本殿を造営し改めて三神を併祭し奉った。実際の創建はこれより五十年も早く、京都北野社鎮座以前であり、全国天神社のうち二番目の古社とされている。
戦後の天正年間、豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に本陣を置き、明智勢を山崎天王山に討った。その戦勝を感謝して、後に秀吉は社殿を美々しく修造する。これは平成八年に事故により失われた。
江戸初期には高槻藩主永井直清が拝殿を設けて大鳥居も建立、時の天台座主親王天松院宮筆の神額を奉納した。
古来、近郷の三島地方はもとより遠く京都、大阪始め北摂能勢や北河内方面の崇敬を集め今に至る例祭「初天神」は、露天の連なる京阪神きっての民衆的大祭である。

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