第4号
鶏・牛の工場化飼育と大量虐殺
平成23年2月12日

かつて人と家畜の関係は同居生活とも云うべき牧歌的な関係があった。相手の命を頂くことで自分の命を維持する感謝の念が無意識にあり、かれらも可能な限り自由な放飼・放牧が常態であった。食生活の変化(肉食中心 -ハンバーガーなどの大量消費且つ廃棄)を背景に生命ある動物が効率管理され、その環境は見るのも苦痛を与える徹底した生産性第一のものとなった。人が生きる為とは云え、神も恐れぬこの実態の一方で動物愛護が叫ばれるのは皮肉なことだ。過去のあり方の方が<愛護>であったと思う。100歩譲って、人の生命を支える為の止むを得ない手段としても、昨今のインフルエンザ騒ぎでの新聞報道が10万,100万単位の処分殺を第一面にデカデカと打出している。他に方法がないにしても、ケタハズレの頭数が殺されていくことを<処分>といった表現はあまりに無機質だ。バブル時代の金融関係で発生した損失の度はずれた額がモラルハザードを生み、感覚をマヒさせた。<共生>とは<共死>ということだという鋭い指摘が ある宗教家からあったが、このような<命>の扱い方は必ずや人の生命をも軽んずるゲーム的な殺人をも含む社会破壊につながるだろう。無言のままなんらの慈しみを受けないで運命を受け入れるカレラが哀れでならない。その一方で20代・30代の若さでグルメもどきを追いかけるカレラのくちびるは血塗られているようにも思える。


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