第8号
日本語学校が必要だ−企業は真の国際化を目指すべき−

小津安次郎の<東京物語>など原節子主演の連作を鑑賞すると彼女の美しさは勿論のこと言葉の美しさにおどろく。
庶民生活を扱った作品でこれ程日本語がきれいなものだったかを再認識出来た。
今日電車内や往来での言葉のヤリトリは醜悪で下品としか云いようがない単調で<ムチャ・・・>という枕詞すべてにつく訳だから、声のカン高さと場所柄をふまえない挙動をも含め動物的な感じすら受ける。

こんな時代に更にオドロクことは一部成長企業トップから英語を社用語にする・・・という方針が打出され附和雷同組も出てきそうな雰囲気である。

ビジネスがインターナショナル化している現実をふまえたニーズなのだろうがむしろ次の点に留意するべきではないか。

・商品そのもののレベルを高める― 買いたいものを作るのが第一義。
・それを扱う人間がどこでも通用し、尊敬されるべき知性と品位をもつことが国際性だ。
・英語が出来るに越したことはないがこの企業は通訳養成機関なのか― 必要とあればそれを雇えば済む。

明治期に国をリードした人達は下級武士の出身が多かったが内外にトップとしての器を示したように思う。

これだけ繊細な表現力をもつ言葉を大切にして、日本文化そのものとして身につけ、その上に立っての外国語ということではないか。
川端康成・三島由紀夫の、ある面でのこの国の将来に対する絶望が解るような気がする。


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